2007年5月20日

アメリカナイズ

今日家に誘った日本人の女の子とTVのドラマの話になった時の事。
お互いに"Sex and the City"にはまった事が発覚し、二人で盛り上がっていました。その時そばにいた妹。

「あれってものすごくムカついた」

彼女いわく、主人公のキャリーは身勝手すぎで、他人の事をこれっぽっちも考えていないひどい人、だそう。

例えばキャリーがアパートを買うお金がなくて困っていたときの事。3人の友達のうち2人は快くお金を貸してあげると言っている中、最後の1人だけ(シャーロット)はそのような態度を示しませんでした。そのことについて頭にきたキャリーは、その後シャーロットの家まで押しかけ、「何で私に”お金を貸す”という態度を示さなかったのか?」「私はあなたのお金を受け取りはしない。でも私があなたの立場だったら絶対に貸していた」と文句をずらずら。

この場面、妹にとっては、友達に対してそんな態度を取るなんて、とても失礼だし間違っている、と受け取っていました。友達ならお金を貸してなんて絶対口にしない、と主張。なぜならいつかお金がその友情を引き裂くかもしれないから、と。

でもこの場面、私は全く違う風に受け取りました。つまりキャリーがシャーロットにそのような態度を取ったのは、キャリーが本当にシャーロットの事を親友として扱っていたから。友達なら金の貸し借りくらいで友情は壊れない、そんなことで友情が壊れてしまうなら、それは本当の友情ではない、と思うのです。私にとって、キャリーのように正直に親友に向かってあんなことを言えるようになったら、本望。今の私ではそんな事を言える勇気があるかどうか?このブログも自分の言いたい事を正直に言えるように、という理由で始めたわけですから、やっぱりあの時のキャリーの態度は、私にとっては英雄物です。

でもこのような考え方って、とてもアメリカ的。自分で気づいていなかったのですが、私ってかなりアメリカナイズされているみたいです。

日本がグループを尊ぶように、アメリカは個人をとても大切にする、だから友達にでもそんなことが言えるんですね。とても素晴らしい、と思ったのですが、日本では違う受け取り方をされてしまうんだ、と始めて気づきました。

5 コメント:

匿名 さんのコメント...

はじめて気付いた、ということはやはりかなりアメリカナイズされているのね(笑)私も、内容はどうであれ、友人同士こういう話し合い方が出来るということ、素晴らしいと思います。信頼関係がないと出来ないことだよね。日本では健全であろうがなかろうが、争いごと自体を避けたがる印象がある。

あと私も日本では「身勝手」と捉えられるような人好きです(笑)自分らしさや自分の意見がしっかりあって、それを適切な言葉遣いや態度で肝心な時にちゃんと公に表示できる勇気があって、他人も自分と同じくらい尊重できる人、にとても魅力を感じる。自分もそういう人になりたいです。でも日本だと自己を表現した段階で、他人と協調できないとか忍耐力がないとか思いやりが足りないとかワガママ、みたいな風に見えるのかな?(定かでない。笑)

日本だと、本音を言ってみたら気まずい空気が流れて話題を変えられたり頭ごなしに否定されたり尾を引いたりすることもあって、そうすると何をどう伝えたらいいのかわからなくなる。思いを、時と場合と場所に適した方法で伝えるって難しいー。

Lothlorien(ローリエン) さんのコメント...

珠吉もしっかりアメリカナイズされてる(笑)自分の意見をいうのがベストだけど、日本じゃそんな事したら、白い目でみられちゃうよね、残念なことに。やっぱり日本では、時と場を選んで対応している人が多いと思うし、みんなそれなりにうまくやっているなぁと思います。
私もそれなりに日本人だから、遠慮して言わないということもあったんだよね。身勝手にはなりたくない、けど自分の主張をした事によりそういう風にみられてしまうなら、それはそれでしょうがないと思います。もしそこで言いたい事が言えなかったら、それは自分にとっては後で後悔しそうだから。。。他人に理解してもらえればそれは嬉しい、もししてもらえなくっても、自分で正しいと思う事ができることがやっぱり夢だな〜。

匿名 さんのコメント...

あ、やっぱりそう思う?(笑)

日本にも素晴らしいぶっちゃけトークを共有できる人はもちろんいるし、そして私がそういう日本人に出会うと(友達とかジャニーズで(笑)尊敬してる人とか)ものすごく感謝するようになったのは、たまに日本にいてすごく窮屈に思うこともあるからなんだと思うと、この苦難もありがたいのかな?笑。

実は最近、ちょっとこの件について悩んでて心が疲れ気味だったのです。思いっきり語ってしまってごめんね。笑。前提が違うと、自分が普通と思う言動を取っても全く違う捉えられ方したりして辛い。でもLothlorienとコメントのやりとりしてるうちに、本音の扱われ方がアメリカと違うの(本音を言ってもらえない、だけじゃなくて、相手への配慮のないキツイ言葉で本音をぶつけられる、とか、相手の本音ばかり聞かされてこちらの本音は理解しようともせず踏み潰す、とかもなぜか日本でよく経験する。あとアメリカではタブーにあたる本音が案外日本では普通に話されてて私が不愉快になったり。笑)って、日本の「良さ」の裏面(対の面)でもあるし、日本の良さが大好きな私は日本の窮屈な面もいつくしまなければ!がんばるぞ!とまた思えました。

日本だと「本音」に面食らう人ってアメリカよりも多いと思うんだ。だから、心からこれは伝えなきゃって思うこと以外は、相手に嫌な思いをさせてまで自分の意見を言いたいと思わないこともある。でもやっぱり、最初から諦めるのではなくて一度は自分の意見を出してみたいと思っちゃうんだよね。そのほうが個人的に好きだから。そこで理解してもらえたら嬉しいし、拒絶されてもその反応を尊重するべきだろうし、Life goes onだね。怖さを乗り越えて表現しあった「自分」や「相手」を分かり合えた人とは、芯の部分で繋がれるような気がするから、やっぱり私もLothlorienのいうように自分が正しいと思うことを出来る人になりたいなぁ、そうやって人と出会っていきたいなぁ、って思いました。共感・尊重しあえる人との会話を楽しみつつ、親身な反論には謙虚になって耳を貸しつつ、今日も頑張ろう、と思えました。なんかLothlorienの日記のテーマとは大分ズレてしまったけど、よい会話を、ありがとう!

Lothlorien(ローリエン) さんのコメント...

そうか、私って日本人だからこうなのって決めすぎてるかも。日本人でも何でも正直に言える人は言えるのよね。でもただただ本音を言って、相手のことを全く考えない人もいるんだね。やっぱり良さもあれば嫌な面もある、しょうがないよね。
それぞれの良い面だけを取ってくればベスト!
自己主張したい、したくない、はやっぱり個人のpreferenceだと思いました。私自身は、自己主張するぞ~ってやっているけど、私の周りにそうじゃない人もいるし、でもだからってそれがダメというわけではなくって、本人が他の人とどう関わっていきたいのか、世の中にどうポジションづけされたいのか、などなどみんな理由はいろいろあるのだと思いました。

匿名 さんのコメント...

私も同じく、日本人だから・アメリカ人だから、って、つい思いがち。笑。思い込みすぎたらいけないけど「国別傾向って絶対ある」と思ってる!笑。

だよね、どっちの国にも良さも悪さもあるし、ここは好きここは嫌いって、やっぱりあるよね。しょうがない、って言葉にまたしても救われました。ありがとう。両方の「良さ」を大事にしていけばいいんだよね!うん、ありがと。

自己主張と一口に言っても色んな性質のものがあるね。Lothlorienのは、相手への興味・思いやり・尊重もちゃんと含まれてて、好き。逆にただただ本音を投げるみたいなのは好きになれない。でもそういう主張にも「良さ」はあるわけだし、どこでどうその特性が生かされるか、どっちのがいいのか、なんて、私には分かり得ないことだから、自分の好みで良いとか悪いとかJudgeしたくないと最近すごく思うようになってきた。どんな人生を歩みたいのか、他人とどう関わって行きたいのか、何を大事にしたいのか、何が幸せなのか、によって、理想的な主張の方法も違ってくるもんね。