2007年2月22日

灰の水曜日の思い出

昨日は灰の水曜日
キリスト教の行事の1つです。

一体これは何?
と私もよく分かってなかったので、調べてみました。

まずなぜ”灰”なのかというと、この日、”灰の式”が行われるから。
この儀式は何かと言うと、
「キリストの受難・死を想い痛悔する印として
信者の頭に灰をかけたり額に灰をつけたりする」
というものだそうです。

では、なぜ”キリストの受難・死を想い痛悔”しなければいけないのか?

イエス・キリストが十字架にかけられ死んでいった理由、
これが、キーなのです。
「イエス・キリストは、私達の罪を全て背負ったために、
十字架にかけられた」
とクリスチャンは信じています。

つまり各個人の全ての罪を、キリストが代わりにかぶってくれた、
と言えばいいのでしょうか。

聖書に出てくる人物は、最大限の悲しみを表すために
頭から灰をかぶったそう。
それを真似て灰の式を行ない、
キリストの死を痛悔したのだそうです。

私も1度だけ、この”灰の式”、経験しました。
数年前、南アメリカのコロンビアを訪れた時です。

(何でコロンビアなんかに旅行に行ったのか、
と思う人は多いはず。確かにコロンビアって
薬物や旅行者誘拐事件など、治安が悪い事で有名。
私も”かなり危険な国”、と知ってはいたのですが

コロンビア人の友達が誘ってくれたので、
つい行ってしまいました。。。
旅行好きの私、チャンスとあればどこへでも行ってしまうのです。
ただの怖いもの知らず?)

ちょうど灰の水曜日にあたる週でした。
コロンビアはカトリック教徒の国。
街に出るとそこら中に教会があり、
ちょうどミサを行っていたので、それに参加。
もちろん全てスペイン語なので
何を言っているのか、私にはチンプンカンプン(笑)

そしてミサの後、額に灰をつけてもらいました。
その灰は日没まで拭ってはいけない、と言われ、
額に灰をつけたまま1日を過ごしました。

あの時は、灰の水曜日なんて聞いたこともなかったし、
”何で額にこんな汚いものつけられなくちゃ、いけないの?”
と少し憤慨していた私。

今こうして理解できたのですが、
やっぱり、クリスチャンの信じるもの、

"私たちは生まれ落ちた時から罪人"、だとか
"キリストは私達の罪を背負って死んでいった"、

とかには、どうしても納得がいかないです。

でもそれを信じる人がたくさんいて
灰の水曜日に灰をつけてもらう人も、
たくさんいるのですよね。

クリスチャンでない私がそれを経験できたこと、
それはそれでまた良い思い出です!

2 コメント:

Unknown さんのコメント...

見に来たよーーー
すごいねえ。英語と日本語ちゃんぽんだ。純粋にかっこいいなあと思ってしまう私はみーはーかなっと。
クリスチャンにとっての灰。私もよく分からないなあと思っていたもの。本とか読んでも共感の仕様が無いし。
近年では塩野七生の「ローマ人の物語」等読んで、キリスト教の成立過程や状況などもインプットされてしまって、ますます何がなにやらわからなくなってしまった。
やっぱり私は八百万の神様がいて、なんにでもどんな事にでも神様がいるのんねという古代的な感じのほうが理解がしやすい。
とはいえクリスマスのケーキも節分の豆まきも大事な大事な行事なのですな。
あ。コメント欄なのにメールみたくなってしまった。すまんです。

Lothlorien(ローリエン) さんのコメント...

見に来てくれたんだ!ありがと〜。コメント欄、別に何を書いても良いのよ。ただ他の人にも見えてしまうと言うだけで。
ちなみにキリスト教の考え方は、実はここに書いただけではなくて、ほんとに奥が深いみたいです。ここに書いた事は主にカトリックのこと。このことを他のクリスチャンと話したんだけど、その人は灰の水曜のことなんて全然知らなかった。
私もクリスチャンにはなれないと思うけど、純粋に興味がすごくあって、だからいろいろ調べたり読んだりするのが好きのなのよ。たぶん順子もそうだよね。日本人にとっては、やっぱり神道ってよく合っていると思います。
私はまた、我が道を行く、っていう感じになってしまったけどね:)