という日本の映画を、友達から教えてもらって週末に観ました。
(珠吉、教えてくれてありがとね〜)
実話を元に作られた映画。
『コーブ』に引き続き、「動物を食べる」という事について
考えさせられる映画です。
あらすじ↓
「卒業までの1年間でブタを飼育し、最後にはみんなで食べたいと思います」─新任の星先生の提案に6年2組は騒然となる。校庭の片隅に小屋を作り、掃除、 エサやリなど生まれて初めての経験に戸惑いながらも、成長してゆくブタに愛着を抱いてゆく子どもたち。“Pちゃん”と名づけ、家畜ではなくペットとして慈 しむようになるが、卒業の時は迫り、Pちゃんを「食べる」「食べない」で教室を二分する大論争が巻き起こる。
卒業が近づくにつれ、Pちゃんの今後についてどうするか、何度も
クラスで討論が行われるのですが、子供達の声が生々しかったです。
たぶんこれらの意見は、それぞれ「本物の」彼らの声だったのかな?
見ていながら思わず私も意見を言いたくなりました
「結局ブタは食べることになるのかしら?」
と興味津々で見始めた訳ですが、それより何より
もっと興味深い事を発見。
それは
何を理由に、その最終決断にいたるのか?
です。
その過程や理由付けが、アメリカに長年住む私にとって
新鮮でした。
子供達が討論中、しきりに口にした言葉、それは
「責任」と「約束」。
「自分たちが飼い始めたブタなのだから、
最後まで責任を持たなければいけない」
「卒業後に在校生に面倒を見させるなんて無責任」
「飼い始めたときに、『最後にみんなで食べる』と約束
したのだから、最後までその約束を守るべき」
という理由から、ブタを最後には殺すべきと
主張する子供達。
さすが日本、と思いました。
「責任」とか「約束」とかに重きが置かれるのは
儒教の影響??
「責任の重さ」の方が、「命の重さ」よりも重いなんて
アメリカじゃあり得な〜い、と思いながら見てました。
アメリカで同じ事が行われていたら、そのような理由で
ブタを殺す、という結果にはならないような気がします。
だって「命」の方が断然重いですから。
それが「ブタ」であっても。(だと信じたい)
動物愛好家が山ほどいますしね、アメリカは。。。
それと、ブタを飼育しようと思えば、いくらでも出来る
環境がある、という理由からも、たぶん殺される事はないかな〜
(実際に私の友達でブタをペットとして飼っている人がいる)
責任とか約束という言葉、やっぱり日本では重いですね。
忘れてました、私。アメリカではどちらかというと反対か?!
自分で「責任」をとらなくて済むように
決して自分から謝る事はしないですし。
約束を平気で破る人もたまにいますし。
なんて事を書くと、アメリカ人ってなんてひどいんだ、
と思うのですが、別にそういう訳では決してなくって
その他のものに重点が置かれているだけなのです。
例えば、「自由」「自立」「慈悲」などなど。。。
例えばアメリカ、日本に比べてボランティア、人助けがさかん。
どんなにお金がなくっても、貧しい人のために
物やお金を寄付するのは、日常茶飯事。
でも日本はその点、結構ドライだと思います。
また、ここでは大学へ通うのに、
親に学費を払ってもらうなんて人は稀。
みな、自分でローンを組んで大学へ通うのです。
その点、日本はたいてい親が払いますよね。
高校を卒業したらもう大人、みな自立心が高いのです。
結局日本、アメリカ、それぞれに良い所はある!
ということを言いたいだけなんですが。。。
でも今回の映画、やっぱり私にとってはとても新鮮でした。
アメリカにいても、責任、約束、大事にしていきたい。。。
(けどこの場合はどうしても責任よりも、
ブタの命の方が大事と思ってしまう私は、
完全にアメリカナイズ??)
「動物を食べる」ことについて考える機会を
作ってくれたこの映画、多くの人に観てもらいたい
8 コメント:
ご鑑賞ありがとうございます。
周りの皆さんとゼヒ話し合ってみてください。
これもまた興味深いですねー。
さすがテイストが似てるせいか、私もこの映画を是非みたいです!
そう言えばある日、ダンナの両親の子供時代の話が話題になって、鶏を飼っててよくト殺する場面を見てたという話がありました。同じく私の母も、子供の頃育てたウサギが食卓に上がったそう。何か言いたいかというと、昔はそういう時代だったけど、今はそれが珍しいから映画になっちゃうのかなと。
まあ、私はもっぱらダメですけどね。
そういう食べちゃうっていうの、一度情とか入っちゃうと切り替えが出来ません...(小心者です)
こんにちわ。
これまた、面白いトピックですね。
早速DVDを注文してしまいました。
観てみないと分かりませんが、スーパーで肉を買うなどの、恩恵を受けている身としては、誰かがその生き物を殺しているから、ここに現物があるのだ、と学ぶ事はいい事の様に思います。
誰かが、動物を殺すという仕事や、役割をこなしてくれるから、私たちは動物を殺す痛みを感じる事なく、食肉を手に出来る。
以前出会った子供が、ステーキは木になっている物?と聞いてきました。
ビックリしました。
命を頂く以上、その命の大切さや、沢山の犠牲になっている人や、生き物を知っている事は大切なのかも?と感じています。
Oさん、コメントありがとうございます。プロデューサーの方だったんですね!この映画についてたくさんの人達とディカッションをする機会を与えてくれて感謝です。
endunhamさん、私たち、やっぱりテイスト似てますね;)ぜひ見て下さいね。
今の時代は自分たちで殺さなくてもお店に行って買える便利な時代ですから、昔のように「いのちを食べてる」っていう自覚はないんでしょうね。しょうがないと言えばしょうがないのかも。お店に行けば何でも手に入りますし、自分で殺さなくてはいけない事も一生ないでしょうし。。。
でも食べている以上、やっぱりその自覚はみんなに持ってもらいたいですね。感謝の度合いが変わると思います。
kayoさん、またまたコメント、ありがとうございます!
kayoさんのおっしゃる通り、誰かが殺しているから私たちはそのお肉を食べる事が出来ると学ぶことは、とても良い事だと思います。その汚い仕事をしている人にも、感謝の気持ちは必要なのかも。でもそれ以上に、動物達に対してそのいのちをもらっているという感謝の気持ちが必要ですよね。
「ステーキは木になっている」って、それ、かなり驚きました。一体学校ではどういう教育をしているんだ?!でもこういう子供達がいるからこそ、映画の中で行った「いのちの授業」って、とても大事なのかな〜と思います。実際に学校でブタを飼って、、、とまでは出来ないのかもしれませんが、だからこそ、こういう映画を見て学んで欲しいですね。
Lothlorienはやはりなんでも行動に移すのが早いね!ケーブルで次回放送されたらDVDにとって送ろうと思ってたけど、その必要はなかったね(笑)さすがです。
子供達の多くの意見が、「責任」と「約束」が重んじられたものだったっていうの、Lothlorienに言われて初めて気づいたけど、ほんとだね~。日本らしいね。きっと、アメリカのように「ブタを飼育できる場所が沢山ある」環境であっても、日本人は自分で始めたことを途中で投げ出して人に託すことをよしと思わないようなところがあるんだろうなと、LothlorienのPostを読んでて気づきました。なんか改めて考えると、ものすごい違いだ。びっくり!(←遅い)
この映画の好きなところは、子供達の声がどれも、綺麗事とかではなく、矛盾や葛藤をそのまま声にしたような率直なものだったとこ。そしてLothlorienの言うとおり、辛い仕事(動物をト殺する)を担ってくれてる人がいたり、私達のお腹や欲求を満たす為に動物の命が奪われていたりすることをずっしりと考えさせられるとこ。肉食の私はこのことを忘れないようにしなきゃと思います。主演の男優が好きでみようと思ったのだけど(動機は相変わらず不純)、みて本当によかったと思った映画でした!
Lothlorienの感想が読めてすごく嬉しかった。Thanks for sharing your thoughts here!
珠吉、待てなくってすぐ見てしまいました、相変わらず;)
珠吉は珠吉で、私とはまたたぶん違った角度からこの映画をみていたんだよね。私がやけに責任とかを重く感じてしまったのは、アメリカにいるからこそだよね。ここにいると、途中で投げ出してしまう人とかたくさんいそう。。。
この映画をみる動機がなんであれ、見て良かったと思えた事がやっぱり良かったと思います。いろいろと考えさせてくれる映画って、私も大好きです。この映画を紹介してくれて本当にありがとね〜!
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